2015年7月27日月曜日

参議院・安保特別委員および全議員の名簿をご活用ください。

 7月16日の衆議院での「安保法制案」強行採決で、審議の舞台は参議院へ移りました。 27日午後に本会議で趣旨説明を行い、報道では今週から委員会質疑が始まる模様です。 


 私たち「特定秘密保護法に反対する牧師の会」は、会の発足当初から、特定秘密保護法の問題性とともに、同法がどのような政治的潮流の中に位置づけられているかに注目し、注意喚起を続けて来ました。すなわち2013年11月の国家安全保障会議設置、同年12月の特定秘密保護法、その後に続いている武器輸出三原則見直し、解釈改憲による集団的自衛権行使容認、国民投票法改定、そして安保法制見直しがあり、今後は一番のねらいである憲法「改正」という流れです。 秘密保護法の立法趣旨が、治安事態における秘密保全にあること、そのような治安事態が生じる主な原因に集団的自衛権行使による海外での武力行使があると考えております。 この重要な局面で、主のみ心がなるように、見張り番として立たされた私たちも、祈りつつできる限りのことをしていきたいと思います。 参院特別委員全員への直接要請などを計画中です。 特別委員・参院議員の連絡先名簿を入手しましたのでシェアします。ぜひご活用ください。

 

2015年7月25日土曜日

安保法制・参院特別委員会委員きまる


舞台が参議院に移った安保法制案。審議が付託される委員会の委員が決まりました。
当会は、連絡先の入った名簿を作成中で、8月にも議員要請行動を計画中です。
なお8月27日(月)午後1時から参議院本会議にて法案の趣旨説明が行われるとのことです。





2015年7月17日金曜日

安全保障関連法案についての要望

当会は本日7月17日、以下の要望書を参議院議長あてにおくりました。



参議院議長 
山崎正昭殿
2015717
 特定秘密保護法に反対する牧師の会
 共同代表 朝岡勝 安海和宣

安全保障関連法案についての要望

 衆議院安保法制特別委員会および衆議院本会議において716日に強行採決された、標記11本の安全保障関連法案(以下「本法案」という)について下記要望をいたします。
  第一に衆議院から本法案が参議院に回付されたとしても受付を拒否してください。なぜなら本法案は文理上も解釈上も憲法違反の疑いが強いからです。参議院で回付された本法案を受け付けることは本法案を合憲と議長が判断承認することと同じです。そして本法案を審議する行為は、参議院議員全員が違憲立法に参与し、憲法99条に違反する結果となります。ぜひご検討下さい。
  第二に、仮に参議院において審議されることを判断するとしても、衆議院におけるように特別委員会を設置することをお控えください。参議院には常任委員会として本法案の課題を専門的に審議する「外交防衛委員会」があります。屋上屋を重ねることのないようにお願いします。特別委員会を設置すると重複する委員も増え、少数会派に負担が大きくなり、他の委員会の審議にも差し障りが出ます。また衆議院の特別委員会における本法案審議が時間数ではなく、同じ週に複数回開催するなど日数に関してあまりにも拙速であったことの反省を生かしてください。
  第三に、仮に特別委員会を設置することとしても、その人数を45人以上確保していただきたく要望いたします。世論調査においても慎重な審議を求める声があります。それは無所属議員も含め多様な会派の意見を採り入れることによって実現できます。なるべく大規模な特別委員会にすることは民意に沿った判断となります。
  第四に、常任委員会にせよ特別委員会にせよ、本法案を一括して審議するのではなく、11の法案について一つずつ丁寧に審議し、一つずつ採決してください。衆議院特別委員会の審議について言えば、議論があまりにも散漫となり、その結果国民の理解が深まりませんでした。論点を掘り下げるためにも、ぜひ各法案を分けて慎重に審議してください。
 第五に、仮に上記の丁寧な審議をしたとしても、本法案を参議院において廃案としてください。なぜならわたしたちは本法案を憲法違反であると考えるからです。

わたしたちは民主的手続きと話し合いに最大限の価値を置いています。どうか上記要望をご検討くださいますように。尊いお働きのためにお祈り申し上げます。 

2015年7月15日水曜日

【抗議声明】安全保障関連法案の衆院特別委員会における強行採決に抗議する

衆議院議長 大島理森殿
衆議院安全保障特別委員会委員長 浜田 靖一殿 

安全保障関連法案の衆院特別委員会における強行採決に抗議する 

2015715
特定秘密保護法に反対する牧師の会
共同代表 朝岡勝 安海和宣

本日、衆議院安保法制特別委員会(浜田靖一委員長)において、与党は国民の圧倒的な反対や憂慮の声、各界からの意見に耳を貸すことなく、安全保障関連法案の強行採決に踏み切りました。このような暴挙に対し断固として抗議します。

去る710日に私たちは、自民党、公明党所属の衆議院議員あてに、「安全保障関連法案の強行採決をしないでください」との文書を送付し、申し入れました。実際に委員会審議は時間だけは経過しても、その内実は深まるところなく、野党議員からの質問に対して正面から答えることもなく、憲法学者をはじめ多くの世論が指摘する憲法違反との声にも向き合うことなく、今日の日を迎えました。むしろ審議が進むほど、本法案の内実が「戦争法案」であり、自衛官を危険な戦場に赴かせ、しかしその責任を政府が負うことのない無責任なものであり、米国と一体化して世界中どこでも戦争に荷担するものであることが明らかとなりました。
このような法案に基づいて自衛官を戦場に赴かせることがあってはならず、また紛争地において平和作りのために汗を流している民間のたくさんの働き人たちを危険にさらすことがあってはなりません。誰も殺し、殺されることがあってはならないのです。
また、本日の委員会終盤に起こった怒号の中での審議打ち切り、討論、採決の光景は、日本の議会制民主主義の劣化と荒廃ぶりを見せつけるものであり、これから時代を担う若い人々や子どもたちに、この姿をどう説明すればよいのかと途方に暮れる思いです。
国会議員の皆さんには、今一度、自らの良心の声に耳を澄ましていただきたい。国会議員を志した初心を思い起こしていただきたい。国民の負託に応える責任と義務を自覚していただきたい。
憲法第98条は「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めています。本法案は明確な現行憲法の違反であり、私たちはこの効力を認めません。
また憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあり、この義務に背く者を国民の代表として認めることはできません。

剣で平和を作ることができないことを身に染みて学んだ私たちは、平和を希求する願いの中で現行憲法のもと、戦後70年を生きてきました。この平和を今回のような暴挙によって失うことは決して許されるものではありません。ここに私たちは、同法案を参議院に回付することなく、速やかに同法案を取り下げ、廃案とすることを強く求めます。

「祈らなければ何もはじまらない」ネヘミヤ1:1-11 7.13PMPM@国会で125人が祈る。


「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」

7月13日の夜、Peace Makers' Prayers Meeting@国会に125人が集いました。
 
 戦後70年を迎えたこの年、「平和」の名の下に、戦争国家への道筋が開かれようとしています。
圧倒的な世論の反対と、憲法違反の法案との声にも関わらず、衆院特別委員会での採決が15日、17日、21日などと言われ始めている中、緊急の祈り会を開催したもの。主催は同実行委員会。
剣によらない真の平和を求める祈りを、国会の場で、ご一緒にささげました。キリスト者とともに、思いを同じくする仏教・神道などの宗教者も参加しました。

星出卓也牧師が開会の祈り。
「特定秘密保護法に反対する牧師の会」共同代表の安海和宣牧師、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の鷹巣直美さんによる証。
朝岡勝牧師(実行委員長・当会共同代表)による祈りの奨励。
大嶋重徳牧師の導きで全体祈祷。
隣の人と心を合わせて祈る時を持ち、柴田智悦牧師、野田沢牧師が代表祈祷をおこないました。


<祈りの奨励>

「祈らなければ何もはじまらない」ネヘミヤ1:1-11

戦後70年のこの年、バビロン捕囚70年との対比で語られます。捕囚の民の心を歌った詩篇137篇にこう歌われています。「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた」。今、私たちもこの国のことを思い、憂い、祈るために集っています。

そこで今晩、ネヘミヤ書の御言葉に聞きたいのです。イスラエルの民がバビロンによって捕囚の民とされた後、ペルシャ帝国がバビロンを滅ぼし、ペルシャの王のもとで仕えていた人、それがネヘミヤです。彼は祖国の荒廃ぶりに心を痛め、王の許しを得て祖国に帰り、都エルサレムの城壁再建に取りかかる。その時の様子を記した書物がネヘミヤ記です。

1.祈りから始まる
彼は祖国の荒廃を知ったとき何をしたのか。「私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、言った。『ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください』」。ネヘミヤがまずしたこと、それは主なる神に祈るということでした。しかもその祈りは、祈りながらもすでに腰が浮き上がって今にも走り出そうとする前のめりの祈りではなく、「祈った」という既成事実を作るためのポーズとしての祈りでもなく、こういう時にはそこに行くほかないという主なる神の御前での祈りの姿であり、またこの祈りなしにはそこから動き出すことができないという祈りの姿でもあったでしょう。しかもそれは一言、二言の祈りではないし、ほんの一瞬の祈りでもない。それは昼夜を分かたぬ、日々の祈りでした。

何か事が起こったとき、私たちの心は反応し、体は動き出そうとします。しかし状況が切実であり、一刻を争うように見える事柄だからこそ、私たちはまず主の御前に行き、跪き、頭を垂れて、「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください」と祈ることを忘れずにいたい。すべては祈りから始まる。神の業を待つことなく私たちの業で事を為そうとする過ちに陥らないためにも、まずこのことを心に刻みたいと願います。

2.悔い改めから始まる
それではネヘミヤは主なる神に何を祈ったのでしょうか。6節後半から7節。「私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした」。

ネヘミヤの祈り、それは罪の悔い改めの祈りでした。この祈りはいくつかの点で極めて重要です。第一に、ネヘミヤの祖国と同胞の傷つき痛む姿を思いつつの祈りが、「助けてください。守ってください。癒やしてください。回復させてください。敵を退けてください」という願いでなく、まず己れの罪の悔い改めから始まっているという事実です。すべては祈りから始まる、ではその祈りは何から始まるのか。祈りは悔い改めから。この事実を覚えたいのです。

第二に、ネヘミヤが「イスラエル人のために、イスラエル人の罪を告白しています」とイスラエルの過去の罪をとりなしつつ悔い改めているという事実です。自分たちがこんな状況に置かれているのはアッシリヤのせい、バビロンのせい、ペルシャのせい、アモン人のせい、アラブ人のせい。そうやって原因を外に求めることは容易なことです。しかしネヘミヤは自ら捕囚の地に捕らえ移された者でありながら、祖国滅亡とバビロン捕囚の本当の理由を知っていたのでしょう。自分たちが今、このような境遇に置かれているのはなぜか。それは外の敵たちのゆえではない。本当の理由はただ一つ、主なる神に対するイスラエルの罪にあったと。偶像礼拝によって主なる神を裏切り、己の価値観に頼って律法に歩まず、主の愛を忘れて、背き続けて来たイスラエルの罪。その罪の悔い改めなしには何事も始まらないことをネヘミヤの祈りは教えます。私たちはしばしば自分たちを被害者の場に置き、困難とそしりの原因を自分の外に求めます。しかし本当の原因は私たちの内側にある。御言葉は、まず私たちの罪の悔い改めへと私たちを向けさせるのです。

第三に、ネヘミヤがこの罪をまさに自分の罪として告白しているという事実です。「まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした」。ネヘミヤはとりなしの祈り手として主の御前に立ちつつ、しかし己もまたその罪の当事者だということを自覚しています。自分を蚊帳の外に置いた祈りではないのです。この「当事者としての自覚」ということが、祈りにおいて、とりわけ悔い改めの祈りにおいて重要なことです。「私の罪」を自覚しなければ、いつしか私たちは自分自身を他人の罪を糾弾する立場に置いて、自分の目の中の梁に気づかず、兄弟の目の中の塵を取ろうとする過ちに陥るでしょう。

3.「きょう」の祈りから始まる
冒頭で、このネヘミヤの祈りが四ヶ月に及んだであろう、長い祈りであったと申し上げました。慌てて走り出すのでなく、まず跪いて祈る大切さを教えられます。それとともに最後に目を留めたいのは、ネヘミヤの次の祈りです。11節。「どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように」。ここにある「きょう」の祈りです。ネヘミヤは慌てふためいて前のめりになることはありませんが、しかしこの祈りが祈られる「時」についてははっきりと見据えています。この祈りは「きょう」祈られなければならない祈りであり、また「きょう」聞いていただかなければならない祈りなのです。明日でも明後日でも、いつ聞いてくださっても、思い出した頃に聞いてくださっても構いませんというような祈りではない。きょう、聞いていただかなければならない祈りなのです。

私たちはこれから祈りをともに捧げたいと願います。「祈ることしかできません」と私たちは言いやすい。しかし私たちは誰に向かって祈っているのでしょうか。何かをしないことの言い訳としての「しか」の祈りでなく、祈った言葉を引き受ける責任の言葉としての「こそ」の祈りを捧げたいのです。

「祈るだけでは何も変わらない」という冷ややかな声があります。しかしこう言いたい。「祈らなければ何も変わらない」と。本気で祈ったら、祈った手はそこから動き出す。ひざまずいた足はそこから一歩を踏み出していく。私たちの祈りは、最後の手段でなく、最初の一歩です。いろいろやって最後の最後にもうあらゆる手を尽くしてやることがないから、最後に祈りましょう、というのでなく。祈ることから始まる新しい歩みへと踏み出していきたい。

「祈っていても何も始まらない」という声がある。しかし祈ることなしには私たちは何もすることができないし、祈らなければ何も始まりません。今週が山場です。恐らくいつかは採決されるでしょう。そして衆院も通り、参議院も通るでしょう。では祈りは無駄なのか。では祈りはもうやめるのか。そうではないでしょう。だからこそ今日から新しく祈り始める。何度でも何度でも祈りの声を挙げ続ける。祈っている中で導かれるところへと勇気を出して進んで行く。神さまどうしてですか。どうしてこれを許されるのですか。神さまこの国をどうしようとなさるのですか。そういう祈りをもささげていきたい。祈る先に私たちの願いを知っていてくださる神は、私たちの貧しい祈りを聞いてくださる。この信頼をゆるがせにすることなく、祈りの手を挙げてまいりましょう。

平和を求める私たちの祈り>

司式:
私たちの天の父なる神よ、いま、私たちの祈りを聞いてください。

会衆:
私たちの平和を求める祈りを聞いてください。 ...

司式:
私たちの切なる祈りを聞いてください。


会衆:
今、この国は大きな曲がり角に立っています。70年前の悲惨な戦争の反省に立ち、平和を 希求する国として歩んで来た私たちのこの国が、大きく道を曲がろうとしています。私たちには憂いがあります。私たちには恐れがあります。祈らずにはおれない心があります。どうか私たちをあわれんでください。この国をあわれんでください。私たちの平和を求める祈りを聞き、あなたの御腕を動かしてください。

司式:
平和の主なるイエス・キリストよ、いま、私たちはあなたの平和を求めています。

会衆:
私たちを平和をつくる神の子どもとしてください。

司式:
私たちをあなたの子どもとしてください。

会衆:
今、この国はまことの平和を必要としています。力による平和でなく、剣による平和でなく、威嚇による平和でなく、抑止力による平和でなく、互いに言葉をかわし、互いに耳を傾けあい、互いにへりくだることからはじまる平和を必要としています。しかし私たちにはそれができません。どうか私たちをあわれんでください。あなたの愛が必要です。あなたの十字架が必要です。あなたの愛によって私たちを神の子どもとしてください。

司式:
私たちのうちに来てくださる聖霊の神よ、いま、私たちにあなたの霊を注いでください。

会衆
私たちを聖霊で満たし、あなたの平和の器としてください。

司式:
私たちを平和の器としてください。

会衆:
今、この国では至るところで平和を求める声が鳴り響いています。若者たちが声を挙げています。母親たちが声を挙げています。戦争を経験した年老いた者たちが声を挙げています。学者たちが声を挙げています。宗教者たちが声を挙げています。声なき人々が声を挙げています。 どうか私たちにあなたの霊を注いでください。私たちに勇気を与えてください。新しい言葉を授けてください。知恵を与えてください。行いを与えてください。へりくだってあなたの愛をあらわす器として私たちを用いてください。あなたの平和のために用いられる器として私たちをお遣わしください。

司式:
父、子、聖霊の神よ、いま、私たちの祈りを聞いてください。

会衆:
私たちの平和を求める祈りを聞いてください。

一同
この国に立てられた為政者に、あなたの恵みを注いでください。彼らがその与えられた務めと責任を果たすことができるように、上からの知恵と力と謙遜とをお与えください。この国に生きる一人一人に、あなたのあわれみを注いでください。とりわけ虐げられている人々、弱い立場にいる人々、助けを必要としている人々、追い詰められている人々、希望を持てない人々、疲れ果てている人々にに、あなたの愛と慰め、具体的な助けをお与えください。 世界の国々に生きる人々に、あなたの祝福を注いでください。差別や貧困に喘ぐ国々、迫害や抑圧の下にある国々、戦争とテロの只中にある国々に、あなたの平和をもたらしてください。私たちをそのために用いてください。平和の器としてください。平和の使者としてお遣わしください。

私たちは信じます。あなたの御心が天で行われるように地上でも行われることを。

私たちは告白します。あなたは真実であられ、あなたの力がこの地に現れることを。

私たちは賛美します。あなたの御名があがめられますように。御国が来ますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。

アーメン。

2015年7月10日金曜日

声明 「安全保障関連法案の強行採決をしないでください」を発表しました。

【Action】

 特定秘密保護法に反対する牧師の会は、以下の声明を発表しました。


 本日以降、自民党・公明党の全衆議院議員に直接送付いたします。


「安全保障関連法案の強行採決をしないでください」

               2015年7月10日  特定秘密保護法に反対する牧師の会
              共同代表 朝岡勝 安海和宣


自民党、公明党の国会議員のみなさん

 私たち「特定秘密保護法に反対する牧師の会」は、一昨年12月の特定秘密保護法成立、昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定以来、いずれ出てくるであろう安全保障法制について、立憲主義の否定、現行憲法の否定、平和を愛する主権者たる国民の声の否定であるとの意見を表明し続けてまいりました。
 
 その後、この度の法案の閣議決定に際しても、5月14日に抗議声明を発表し、国会に法案が提出されてからは、慎重審議と廃案を求めて、衆院特別委員会所属の45名の国会議員の方々に要請を行ってまいりました。

 そして今日まで衆議院特別委員会での審議が行われていますが、審議過程を通してますます同関連法案の違憲性は明らかになり、しかもそれらの疑問点に正面から答えようとしない首相、防衛相、外務相の不誠実な態度は目に余るものがあります。

 毎日新聞(7/6付)の世論調査によれば 安全保障関連法案について国民への説明を不十分とする回答が81%、会期延長した今国会で安保法案を成立させる方針に反対するとの回答が61%に上っており、これは他社の世論調査ともほぼ一致しています。

 また朝日新聞(7/9付)によれば、全国都道府県331の地方議会が同法案審議に対する意見書を可決し、そのうち141議会が法制法案に反対、181議会が慎重審議を求めています。
 さらに東京新聞(7/9付)が全国の大学で憲法を教える学者328人にアンケートを行ったところによると、回答者204名のうち、同法案を違憲とした学者が184名、90%以上に上ったとあります。

 そのほかにも「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけに、7月10日段階で学者・研究者9,175名、市民15,716名が賛同の意を表し、全国各地で学生や若者たちも安保法制反対のデモを行うなど、私たち国民の圧倒的多数が、同法案に反対、あるいは慎重審議を求めていることは明らかです。

 にもかかわらず、政府与党はこの数日来、「審議時間が80時間を越えた」、「ほぼ質疑は出尽くした」、「いつまでも続けるわけにはいかない」、「だらだら続けず決めるところは決める」などとして立法府である国会を、軽視し、当事者である自民党国会対策委員長自らが「法案のすべてを理解するのは不可能」との発言をするほどの異常な事態となっています。また折しも自民党の若手議員たちが言論に圧力を掛けることを公言するような出来事もあり、私たちは現政権の傲り高ぶりと立憲主義、議会制民主主義への理解のあまりの乏しさに、これまでにない危機感を覚えています。憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に基づき、付託された責任を自覚していただきたいと思います。
 このような中で、来週15日の衆院特別委員会での強行採決の声が聞こえ始めています。国民の8割が不安視し、6割が反対する同法案を採決することは到底ゆるされるものではありません。民意に反して強行採決をすることには、次の選挙や御党の今後に対して、大きなリスクがあるということを申し添えます。
 
 今のような状態で委員会採決、衆議院採決に突き進むようなことがないよう、立憲主義・議会制民主主義にのっとった理性ある対応を与党の皆さんに求めます。